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旅館業界におけるM&A動向

2022年10月3日

旅館業界におけるM&A
~アフター・コロナに向け先手を打とうとするM&A~
神奈川県の丹沢山地の麓に鶴巻温泉という小さな温泉郷がある。その一角に創業1918年(大正7年)の「元湯 陣屋」(以下「陣屋」)という老舗旅館がある。1万坪の庭園を有し、かつては皇族の方々が宿泊されたり、また、戦前から現在に至るまで将棋や囲碁のプロ棋士によるタイトル戦の舞台になってきた由緒ある旅館だ。

しかし、バブル崩壊後に団体客が減少したことや、鶴巻温泉の観光地としての衰退、これにリーマン・ショック(2008年)が加わり一時は廃業の危機に直面した。これを立て直したのが2009年に経営を引き継いだ4代目と女将(4代目夫人、現代表取締役)である。
経営の見える化や高級化・高価格化路線への転換
当時、陣屋を売却することも検討したが、希望する条件に見合う買い手がみつからなかったという。4代目夫妻は、ITの開発・導入による経営の見える化や、伝統や庭園を活かした高級化・高価格化路線への転換、また、稼働率の低い平日を一部定休日とし連日の勤務で疲弊していた従業員の士気向上を図ることなどによって、陣屋の業績をV字回復させた。ちなみに、陣屋は開発・導入したITを「陣屋コネクト」と名付け、2012年、旅館向けに外販を開始している。


新型コロナ発生。きめ細かなサービス提供による、リピーター宿泊の回復
新型コロナ発生は他の旅館と同様に陣屋の経営にも大きな影響を与えた。発生直後の2020年4月には臨時休業を余儀なくされた。しかし、従来から駐車場の入り口に設置したカメラによって車のナンバーと顧客を把握しいち早く仲居が出迎え、陣屋コネクトに登録されている顧客情報に合わせて個別に対応するなど、きめ細かなサービスを提供してきたことが奏功し、営業再開後はリピーターの宿泊が回復。また、メニューを拡充したことによって日帰りプランの利用も増えたという。

陣屋のホームページにはこれを運営する株式会社陣屋の業績の一部が掲示されている。宴会や婚礼は依然として厳しいと伝えられており、現状は回復途上のステージと考えられるが、同社の2021年12月期の年商は 3億1,200万円、EBITDAは 1億400万円であり、EBITDAベースでは黒字を維持している。

また、株式会社陣屋が100%株式を保有している株式会社陣屋コネクトは年商 2億9,000万円 当期純利益 8,500万円を計上(2021年12月期)。陣屋コネクトの導入施設数は約450に上っており、陣屋グループにとっては重要な収益源に成長したと言えそうだ。



旅館の稼働率の現況
先日、テレビの報道番組をみていたところ、女将の宮崎知子代表取締役が取材に応じていた(※1)。女将は同番組で、後継者問題を抱えていた湯村温泉(兵庫県)の旅館と別所温泉(長野県)の旅館の事業を承継し、来年、リニューアル・オープンすると語っていた。改めて陣屋のホームページを確認してみると、世界的な庭園デザイナーの石原和幸氏とコラボし、緑屋(※2)というブランドで湯村温泉と別所温泉にオープン予定とのことである。

図表1は観光庁発表による旅館の稼働率の推移である。コロナ陽性者数の増減が激しかったことを背景に稼働率の上下のブレも大きく、現状はコロナ発生前の2019年の水準には程遠い。しかし、入国規制の緩和や陽性者の療養期間の短縮など、コロナ併存型の政策を政府が推進していることに鑑みれば、稼働率が大きく低下するとも考えにくい。陣屋の女将が明確にコメントしているわけではないが、将来の来訪客の回復を見込んでいなければ事業承継の決断には至らなかったのではないかと思われる。


(出所)観光庁 宿泊旅行統計調査。一部速報値を含む

(出所)観光庁 宿泊旅行統計調査。一部速報値を含む

(※1)2022年9月17日 テレビ朝日 週刊ニュースリーダー 城島リサーチ!気になるアノ人、による取材。現在、陣屋のホームページ上のメディア掲載に動画へのリンクが貼られている。

(※2)陣屋が事業を承継した別所温泉(長野県)の旅館名は「緑屋吉右衛門」であり、ここから「緑屋」というブランド名を決定したと推察される。




旅館業界のM&A動向
まだまだ活発というレべルではないものの、調べていくと他にも旅館を対象とするM&Aがみられている。

高知市で「ホテル港屋」を運営する港屋マネジメントは、坂本龍馬の生家跡にあり、今年2月に閉館した「龍馬の宿 南水」という旅館を買収したと伝えられた。坂本龍馬を前面に打ち出した施設として2023年秋にはリニューアル・オープンの意向という。

また、TOKYO PRO Market上場でバッグなどを製造しているバルコスは、2021年に鳥取県の「旅館明治荘」を買収し、今年7月、「バルコス旅館三朝荘」としてオープンした。バルコスは今回の旅館事業参入により、「ファッション・食・観光」という3つの分野で事業を拡大し、複合的なライフスタイルの提案を進める方針だ。少しずつではあるが、M&Aによってアフター・コロナに向け先手を打とうとする動きが出始めている。


<参考グラフ>1996年~2022年8月末までの「ホテル・旅館」が当事者(買い手または売り手)のM&A件数推移

「ホテル・旅館」が当事者(買い手または売り手)のM&A

(出所)レコフM&Aデータベース((株)レコフデータ提供)

澤田 英之
執筆者
澤田 英之
株式会社レコフ 企画管理部 部長(リサーチ担当)
金融機関系研究所等で調査業務に従事後、政府系金融機関の融資担当を経て2005年レコフ入社。各業界におけるM&A動向の調査やこれに基づくレポート執筆などを担当。著書・論文は「食品企業 飛躍の鍵 -グローバル化への挑戦-」(共著、株式会社ぎょうせい、2012年)の他、レコフデータ運営のマールオンライン向けなど多数。